今回は「ビッグボス」こと新庄剛志さんの名言やエピソードが気になったので、さっそくまとめてみました。
どの言葉もハッとさせられていい刺激を貰える言葉ばかりですので、どうぞお楽しみに。
新庄剛志の名言とエピソードをまとめてみた!
新庄剛志さんと言えば、今シーズンから北海道日本ハムファイターズの監督に就任して大きな話題となっています。
そこで、新庄剛志さんの高校球児時代からNPB、メジャーリーガー、そして日ハムの監督になってからの名言やエピソードを1つ1つ振り返ってご紹介したいと思います。
新庄剛志 高校時代の名言「ジーンズが似合わなくなるから・・・」
まずは高校球児時代から。
ジーンズが似合わなくなるから、下半身のトレーニングはしない。
新庄さんは高校球児時代に「ジーンズが似合わなくなるから」という理由で下半身のトレーニングをしないと言っていたそうです。
スタイルも重視する新庄さんらしい発言ですが、どんなスポーツでも走り込みなどの下半身のトレーニングは必要不可欠です。なのでそうは言いながらも、影ではかなりの下半身トレーニングをしていたのは間違いありませんね。
それから、新庄さんの高校時代のエピソードとして有名なのは、ホームから外野に遠投した時に120mの大遠投で木製のバックスクリーンを壊したというのがあります。
凄すぎますね。^^;
チームメイトのミスは絶対責めなかった。
新庄さんは高校時代の身体能力は1人突き抜けていたそうですが、チームメイトがミスしたりしても一切責めなかったとの事。
それどころか、ちょっとした事を褒めてあげてその気にさせるのが上手かったらしく、プロ野球の監督というのは意外と天職なのかもしれません。今から楽しみで仕方ありませんね。
新庄剛志 阪神タイガース時代の名言とエピソード
続きまして阪神タイガース時代の名言とエピソードです。
プロ野球はあまり好きではなかった。
阪神タイガースの入団会見では、ソリコミの入ったパンチパーマ(パンチというよりはリーゼントパーマ?)姿で登場し、「サッカーが好きだったので、プロ野球自体あまり好きではない」と爆弾発言していました。
この当時から新庄節が効いていますね。新庄さんらしいです。
敬遠球を打ってサヨナラ勝ち!
新庄さんの阪神時代のエピソードとして有名なのは、何と言っても「敬遠球を打ってサヨナラ勝ちした」事ですよね。
あれは失敗しないように敬遠球を打つ練習をかなりやっていて、監督からも了承を得ていたと本人が話していました。
単なる思い付きでやった訳ではなく、しっかりと周到に準備していたというのが意外でしたし、周りへの配慮もこの頃からきちんとしていたのが分かります。
新庄剛志と野村克也監督
新庄さんが阪神時代に監督をしていた今は亡き野村克也さん。野村さんと言えば日本プロ野球会の至宝で今日のプロ野球を作り上げたと言っていいほどの人ですよね。
でも新庄さんは野村監督に・・・
ミーティングの時間短くしてください!
と発言したのは有名な話です。
そして選手からそんな発言を聞いたら普通の監督は大激怒しそうですが、野村監督は怒ったりはせずに新庄の提案を受け入れてミーティングの時間を短くしたとの事。
野村監督なりの考えがあったのでしょうが、そうそう出来る事ではありません。怒ってボヤいているイメージが強い野村監督ですが臨機応変で柔軟な考えも持っていたと言えるでしょう。
さすがノムさんです。
新庄剛志 メジャーリーガー時代の名言とエピソード
新庄さんは、阪神タイガースとの残留交渉で5年12億円という条件を蹴って、メジャーリーグに挑戦しました。
初年の年俸はメジャー最低年俸の2200万円。
誰かに相談しても、間違いなく「無難な道を選べ」と言われるだろうからだれにも相談しなかった
当時の気持ちをこう語っていた新庄さん。
親父にも『メジャーで通用するはずがない』と言われたけれど、全然気にしなかったし、むしろ闘争心に火がついたね
お父さんにも反対されていたようですが、自分の意志を突き通した新庄さん。流石です。
当時は大きな話題となりましたが、私も本当に驚きましたね。無謀とも言われたメジャー挑戦でしたが、私は本当にかっこいいなと思えました。
記録はイチローくんにまかせて、記憶はボクにまかせて
同じメジャーリーガーだったイチローさんは数々の偉業を成し遂げ、様々なメジャーの新記録を作りました。
新庄さんはニューヨーク・メッツで4番になる事もあり、10本のホームランを記録しましたが、やはり記録よりは人々の記憶に残るような人でした。
最低年俸から年収7億へ
新庄さんはメッツで活躍すると、最低年俸の2200万円から一気に年俸1億3500万円になりました。(その後年俸3億円にまで上り詰めた。)
それと同時にCMにも起用され年収は7億円。無謀だと言われたメジャー挑戦でしたが、結果で多くの人を黙らせてしまったのは本当に凄いですよね。
新庄剛志 日本ハム時代の名言とエピソード
札幌ドームを満員にする。ファイターズを日本一にする。
「一番最初に手を挙げてくれた球団に入る」と決意していた新庄さんは、メジャーから日本ハムに移籍しました。
しかし当時の日本ハムは本拠地を北海道に移したばかりで、まったく人気がありませんでした。
しかし上記のような宣言をして、ファンに愛されるプレーやパフォーマンスを続けると、たちまち日本ハムは大勢のファンに愛されるようになり、観客席は連日満員になりました。
そして3年後、新庄さんは現役最終年に見事日本ハムをリーグ優勝させ、日本シリーズでも勝って見事に日本一に輝きました。
ビッグマウスだけでなく、それを実現させる行動力がとてつもないですね。
新庄剛志 トライアウト時の名言とエピソード
新庄さんは、何と48歳から現役のプロ野球選手として復帰する事に挑戦しました。
この時多くの人が「バカげている」「無謀」だと思ったのは間違いありません。
みんな、夢はあるかい?1%の可能性があれば、必ずできる。今日からトレーニングを始めて、もう1回、プロ野球選手になろうと思います。みんなも何か挑戦しようぜ
結果としては現役復帰は無理でしたが、何とトライアウトの最終打席でタイムリーを打つという信じられない事を達成しました。
夢を持っていても、挑戦しない人たちが多いじゃないですか。それが、すごいさみしくて。48歳からでもプロ野球選手を目指す。それをみんなに見せたいというのが一番です
常に無謀だと思える事に挑戦してきた新庄さん。本当にいい刺激を私達に与えてくれます。
まわりにバカにされようが、自分を信じてトライしていれば必ず道は開けると思うんだよね
バカにしていいのは、新庄さん以上の努力と挑戦をして新庄さん以上の結果を出した人だけですよね。
新庄さんのトライアウトの挑戦は、最終的に「日本ハム監督就任」という結果のきっかけになったのではないでしょうか。
意味の無い努力なんて無いのかもしれません。
新庄剛志 日本ハム監督就任後の名言
努力は一生、本番は一回、チャンスは一瞬
この言葉は新庄さんの人生を物語っているのではないでしょうか?
新庄さんは見えない所で人一倍努力し続けて、ようやく一回きりの本番を与えられ、その中のたった一瞬のチャンスを物にしてきました。
新庄さんは「チャンスを物にしてきた秘訣」について・・・
努力をし続けてきたから。そもそも努力をしていないと本番も与えられない
と取材で語っています。努力を何より大事にしてきた新庄剛志さんは、以下のようにも語っています。
努力をしていない人間ほど、すぐ人のせいにして 不貞腐れて自分から逃げる
この言葉は肝に銘じて、私達も頑張っていきたいものですね。
優勝なんて一切目指しません。
新庄さんは、一日一日地味な練習を積み重ねて、何気ない試合を一試合一試合勝って、また勝って、その後9月頃に優勝争いしていたら優勝を目指す、というスタイルでいきたいようです。
夢を掴む為にはまず周りに発信すること
人を笑顔にしたいなら自分が笑顔でいること
感謝されるには自分から感謝すること
その場を楽しませるには、まず自分が楽しむこと
失敗しないしない為には 失敗しない準備をしておく
何かをやってもらう方法は まず自分からやること
「人を変える事は出来ない、変えられるのは自分」「自分を変えれば周りも変わる」というのはとある起業家さんの言葉ですが、まさにその通りですね。
そしてあの野村克也さんも「心配や不安というのは努力不足が原因」とその著書で述べていましたが、新庄さんも野村さんと共通している考え方を持っていると言えるかと思います。
あのイチローさんも、「大きな事を成し遂げるコツは、毎日小さな事をコツコツとやる事だ。」というような事を言っていましたが、大きな事を成し遂げてきた人は誰もが同じ考えなのかもしれません。
準備、備え、弱さ、を削る事が全て
これも同じようにいかに努力が大事か、努力こそ全てだと言わんばかりの新庄さんの名言ですね。
新庄剛志の名言とエピソード さいごに
いかがでしたでしょうか?
ユニークな物から心に沁みる物、ハッとさせられる物、どれも名言ばかりでしたね。そして新庄さんらしくて新庄さんにしか出来ないエピソードの数々。
私達も新庄さんの名言をマメに読むようにして、少しでもよりよい人生を歩めるようにしていきたいですよね。
最後までお読み頂きありがとうございました!